川崎市宮前区で、
不用品買取や大人の断捨離を支援するアニー堂です。
田園都市線梶が谷駅から、
鷺沼駅行バスで10分、
東横線武蔵小杉駅から
野川台公園行バスで20分
上野川のバス停付近で、
個人の古物商として活動しています。
今日のフジテレビのポカポカで、
伝説のアイドル、”林寛子”さんが登場しました。
実は彼女はあの有名な黒澤明監督と、
縁が深い人物です。
今回は、林寛子と黒澤明監督との意外な関係などを、
色々と深堀りします。
ぽかぽかに出た林寛子さんとは
今日のフジテレビのポカポカにて、
林寛子さんが登場しました。
現在65歳ですが、そのオーラはいまだ健在です。
彼女の経歴についてまとめます。
[誕生からアイドルデビューまで]彼女は、1959年に生まれました。
芸能活動は、1964年から劇団日本児童に所属し、
子役として芸能活動を開始しました。
1974年には、アイドルとしてデビューしました。
その後は清純派として、70年代を駆け抜けました。
[結婚]1978年に、彼女はとある人物と恋に落ちました。
それが、黒澤 久雄さん。
しかし、彼は34歳。そして彼女は18歳。
流石に、父親は一時は結婚に反対するも、
2年間付き合えば許すと言われ、
二人は約束を守り結婚。
交際当時は、監督がよく、
女優の”岡田奈々”さんと間違えていたようです。
結婚後夫妻の間には1男2女が生まれ、
長女の黒澤優さんは元女優で、
次女の黒澤萌さんは歌手として活動しています。
結婚してから、芸能活動は一時は引退しました。
しかし、のちに夫婦タレントとして活躍していました。
しかし、2003年に突如黒澤久雄さんと離婚しました。
その後は、ずっと独身です。
結婚していた黒澤 久雄さんとは
彼女と結婚していた、黒澤 久雄さん。
彼はあの黒澤明の息子として、
映画監督やプロデューサーとして、
活躍している日本映画界の
第一人者です。
彼が、父と同じ道を歩むきっかけは、
成城大学在学中の1966年。
フォークバンドブロード・サイド・フォーを結成。
『若者たち』が大ヒットしたが、
黒澤の留学によりバンドは解散、
その後、DJやタレントとして活動する他、
映画プロデューサーとして『乱』以降、
父の作品にかかわっています。
1980年に林寛子さんと結婚したあとは、
タレントとしても活躍していました。
現在は「黒澤プロダクション」
「黒澤フィルムスタジオ」の代表取締役社長、
「黒澤明文化振興財団」の理事長を務めています。

黒澤明監督についても軽く紹介します
黒澤 久雄さんのお父さんが、
あの黒澤明監督です。
彼は、戦後日本を代表する大監督です。
かれの作品について、軽く触れます。
1910年生まれの日本の映画監督・脚本家・映画プロデューサーで、
第二次世界大戦後の日本映画を代表する監督です。
国内はもちろん国際的にも有名で、
影響力のある監督の一人と、
みなされています。
代表作:
『羅生門』『七人の侍』『影武者』『乱』など。
特に1950年、『羅生門』でヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞し、
日本映画が国際的に認知されるきっかけを作りました。
『七人の侍』は、世界の映画人に影響を与え、
荒野の七人など、この作品をオマージュした作品も、
数多く登場しました。
1985年には映画人初の文化勲章を受章し、
1990年にはアカデミー名誉賞を受賞しました。
1998年に、脳卒中で88歳で亡くなりました。
ちなみに映画プロデューサーとはどんな人種?
たまに話題に登る映画プロデューサー。
このお仕事について、軽く深堀りします。
国内外で有名な映画プロデューサーについても、
まとめます。
映画プロデューサーは、
企画の立案から公開後の展開まで、
映画制作の全体を管理・統括するのが役割です。
具体的には以下のような業務があります:
企画の立案:
映画原作の選定やオリジナル脚本の開発など、
作品の基礎となるアイデアを考案します。
資金調達:
制作費を確保するために、
スポンサーや出資者との交渉を行います。
スタッフ・キャストの選定:
監督、脚本家、主演俳優など、
制作チームの編成を行います。
制作進行・予算管理:
スケジュールの管理や予算の配分を行い、
制作が円滑に進むよう調整します。
宣伝・配給戦略の策定:
作品の公開に向けて、マーケティングや配給の計画を立てます。
著作権管理:
作品の権利関係を管理し、二次利用や商品化などの展開を検討します。
このように、映画プロデューサーは、
作品の企画から公開後の展開まで、
全体を見渡しながらプロジェクトを成功に導く、
オーケストラの指揮者のような役割があります。
[日本国内の映画プロデューサー]– 鈴木敏夫(すずき としお)
スタジオジブリの創設者の一人であり、
同スタジオの代表取締役会長を務める、
まさに日本を代表する映画プロデューサーです。
彼は、宮崎駿監督や高畑勲監督と共に、
数々の名作アニメーション映画を世に送り出しました。
代表作
『となりのトトロ』(1988年)
『千と千尋の神隠し』(2001年)
『風立ちぬ』(2013年)
鈴木さんは、作品ごとに独自のプロモーション戦略を展開し、
スタジオジブリ作品の世界的な成功に大きく貢献しました。
[海外の映画プロデューサー]– デヴィッド・ヘイマン(David Heyman)
デヴィッド・ヘイマンさんは、
イギリス出身の映画プロデューサーで、
特に『ハリー・ポッター』シリーズの成功で知られています。
彼は、原作の映画化権を獲得し、
全8作品のプロデュースを手掛けました。
代表作
『ハリー・ポッター』シリーズ(2001年〜2011年)
『ゼログラビティ』(2013年)
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019年)
ヘイマンさんは作品の企画から制作、
公開までを統括し、
世界中で大ヒットを記録する映画を数多く手掛けています。

林寛子さんにまつわる中古相場について
いつものように、ヤフオク直近180日の落札相場を調べてみました。
“林寛子”で検索しました。
取引数は459件、平均 2,232円、最高 188,000円でした。
最高落札された品物は、雑誌Don Donのまとめ売りです。
彼女以外たくさんのアイドルの貴重な写真を、
拝める逸品です。
まとめ
今回の出演で再び表舞台に登場した、
彼女。彼女を通じて映画にたづ触るお仕事映画プロデューサーについて、
調べたくなりまとめました。
当社では、林寛子さんや黒澤明監督一族にまつわるお宝について、
出張買取、オークション代行させていただきます。
気軽に、お申し付けください。