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先日ブライダルデザイナー桂由美さんが、亡くなりました。94歳の大往生でした。今回は、桂由美さんなど、日本出身の有名なデザイナーについて、まとめました。もちろんお宝についてまとめてみました。
桂由美さんの略歴
桂由美さんは、1930年に当時の東京府に生まれました。大学卒業後にパリに留学しました。留学の経験を活かし、1964年に日本初のブライダルデザイナーとしてデビューしました。
ちなみに、お父さんは当時の郵政省の役人で、お母さんが裁縫専門学校を営む家系で、お母さんは経営している学校をついでほしかったようです。大学もお母さんの意向で、服飾学部に入学するも、本人は当時裁縫が苦手で、浴衣も一人で縫えなかったようです。
それでも、仲間と協力して日本のウエディングドレスの概念を変える活動を続け、豪華で個性的なウェディングドレスを作り続けていました。
先日4/26日に94歳で亡くなりましたが、その数日前まで作品を作り続け、死ぬ寸前まで日本の女性のために、彼女のアイデアを形にし続けた、本物のデザイナーです。
日本出身の世界的デザイナー
60年代から、日本にもファッションデザイナーという仕事が認知されました。そのきっかけは、以下のパリコレに作品を発表した、一流日本人デザイナーについてまとめます。
COMME des GARCONS
コム・デ・ギャルソンは、1969年に川久保玲氏によって創設されました。プレタポルテと呼ばれる高級な洋服を中心に財布など多数展開してます。その特徴は、体の形状に固執せず、構造や素材、そしてアバンギャルドなアプローチに焦点を当てています。2024年現在も、パリコレに作品を発表し続けています。
Issey Miyake
イッセイミヤケは、1971年に三宅デザイン事務所として作られました。翌年からニューヨークで、ISSEY MIYAKEとして発表しました。一枚の布から、プリーツブリーズなど独創的な服や、メタリックなバッグバオバオを作りました。市場でも比較的観られる、高級アイテムの定番です。
Yohji Yamamoto
株式会社ワイズ (Y’s)として、1972年に創設されました。1981年にコム・デ・ギャルソンの川久氏とともにパリコレにデビュー。黒の衝撃と呼ばれる、漆黒で大振りな服が代表的です。それ以外、”adidas”とコラボした”Y-3″などカジュアルなブランドも展開されています。市場でも、”Yohji Yamamoto”のアイテムは、意外と観られないレアなものです。
Kansai Yamamoto
コシノジュンコ氏などの元で修行した、山本寛斎氏によって1971年に創設されました。1975年にパリコレデビューしました。デイリーで使える品物をコンセプトに、気軽に付き合えるちょっといい服を提供しています。と思ったら、デヴィッド・ボウイの独創的な衣装など、ぶっ飛んだ服を作っています。
KENZO
デザイナー高田賢三氏によって、1970年に創設されました。同年にパリコレデビューしました。創業前に、三愛で働き1964年にパリに海外留学されました。昔は素朴な水彩画のような色使いのバッグなどを、多数作っています。自分のイメージでは、百貨店の2階に鎮座するちょっとお高いブランドです。
パリコレとは
ここで世界のデザイナーの憧れの地、通称パリコレについて軽くまとめます。正式名称は、パリファッションウィーク(Paris Fashion Week)と呼ばれ、春夏、秋冬シーズンごとに開催されます。この間パリは、世界中の一流ブランドが一同に介し華やぎます。LOUISVUITTON、Christian Dior、Chanel、HERMESそしてgucciなど不動のハイブランドから、新進気鋭のデザイナーなどがこの場で作品を発表するために努力しています。条件は、売上だけではなくアトリエの質などあらゆる面で試されます。
日本人ブランドの中古相場
いつものように、ヤフオク直近180日の落札相場を調べてみました。
今回は、今までまとめた、桂由美、COMME des GARCONS、ISSEY MIYAKE、Yohji Yamamoto、カンサイヤマモト、KENZOで調べてみました。
“桂由美”は取引数は849件、平均 3,886円、最高 168,300円でした。最高落札された品物は、豪華な色打掛唐織です。やはり、本物の着物はこれくらいからですね。
“COMME des GARCONS”。取引数は24,065件、平均 15,679円、最高 1,031,000円でした。最高落札された品物は、川久氏が作った椅子です。ビンテージな通好みな逸品です。
続いて、”ISSEY MIYAKE”。取引数は12,168件、平均 15,562円、最高 551,000円でした。最高落札された品物は、95年に作られたボンバージャケットです。シンプルですが、とにかくかっこいいです。
“Yohji Yamamoto”。取引数は6,989件、平均 20,264円、最高 911,000円でした。最高落札された品物は、91年に作られたレザージャケットです。漆黒のボディに、かわいいハートがイカしてます。
“カンサイヤマモト”。取引数は690件、平均 2,978円、最高 36,410円でした。最高落札された品物は、LOUISVUITTONとコラボしたスニーカーです。意外とおしゃれで、意外と使えます。
最後に、”KENZO”。取引数は6,327件、平均 6,581円、最高 291,000円でした。最高落札された品物は、大塚家具で作られたベッドです。カラフルかつ使いやすいので、自宅にいかがですか?
まとめ
彼らやそれ以外の無数のデザイナーさんの努力で、日本のファッションが世界で売られています。市場でもなかなかお目にかかれない、まさに知る人ぞ知る逸品ばかりです。当社では、日本人ブランドの品物を出張買取します。気軽に、お申し付けください。