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昨日ですが、2024/2/6にあの世界的なオーケストラ指揮者小澤征爾氏が逝去しました。今回は、彼の略歴と彼の残した偉大な足跡、そして彼にまつわる遺産とも言えるアイテムの相場と、売りづらいと思われるクラシック音楽のCDなどの意外な売り方をまとめました。
小澤征爾氏の略歴
小澤征爾氏は、1935年当時中国でかつて満州と呼ばれた土地に、生まれました。
[幼少期‐学生時代]5歳の時に日本に帰国後、家族が彼の非凡な才能に気が付き、ピアノを与えられ学び始めました。学生時代は、桐朋学園の音楽科に入学、数多くの指揮者を育てた齋藤秀雄さんから本格的に指揮を学びました。映画”セッション”を地でゆく激しい教育を耐え抜き、無事卒業しました。
[卒業後世界へ]群馬などで指揮棒を振るうも、馴染めず桐朋学園大学時代の仲間の支援で、23歳のときに単身渡仏し、その能力が開花。その高い指揮能力は、フランス人を虜にし巨匠”カラヤン”の弟子となり、その後アメリカの大指揮者”バーンスタイン”も彼の指揮に惚れ込むこととなりました。その後の経歴は華々しく、”ニューヨーク・フィルハーモニック”や”ウィーン・フィルハーモニー”など世界中の一流管弦楽団からオファーが舞い込むこととなりました。まさに、一気に世界のオザワとなりました。指揮者のみならず、音楽監督としても才能が花開きボストン交響楽団では1973年から29年間、ウィーン歌劇場でも同職を勤め上げました。
[国内での苦闘と世界のオザワへ]一方国内では、そのあまりの技量の高さからうまく行かないことも多かったようです。特にNHK交響楽団では、団員が全員舞台に上がらずボイコットされた悲しい事件もあり、日本での活動を一時取りやめていました。長期間日本に帰らず、アメリカで過ごす彼に一部日系アメリカ人だと揶揄する人々もいませんでした。しかし、時は流れ84年に斎藤氏の追悼コンサートを始め何度も成功させ、真の世界のオザワとなりました。2010年から食道ガンなど、相次ぐ病に悩まされながらも、活動を続けました。享年88歳でした。彼の情熱は、死ぬ寸前まで枯れなかったと思われます。まずは、彼の功績に経緯を評したいと思います。
小澤征爾氏の魅力
彼の指揮は、とにかくエネルギッシュで奏者はもちろん、視聴者もグイグイ彼の演奏の世界に引き込まれます。また、20代の早い段階で海外で活躍しているおかげで、クラシックをベースに映画音楽はもちろんポップスまで幅広く指揮や演出に取り込むことができます。
また、数多くの演奏家とも共演を実現していて、映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズとは1970年代以来の旧知の仲。当時から、作曲家として活躍していたウィリアムズ氏を、ボストン・ポップス・オーケストラに招いたのがきっかけです。
日本国内外とわず影響を受けた指揮者はもちろん、ピアノなどの演奏家、音楽家、ジャンルとわずと、まさに神様レベルと本当にすごい人です。大往生ですが、同時に少し残念にも思えます。
小澤征爾にまつわる中古相場について
いつものように、ヤフオク直近180日の落札相場を調べてみました。
シンプルに、”小澤征爾”で調べてみました。取引数は1,990件、平均 1,388円、最高 43,665円でした。最高落札された品物は、テラークレーベルのクラシックCD集37枚です。おそらくセットで売れれば、家計の強い味方となります。
クラシック音楽にまつわるおたからの作り方
「クラシックって、ネットで高く売れる印象ないな」ってなりませんか?正直バイオリンなど楽器ぐらいしか思いつかないと思います。
自分も同じでした。しかし、最近ちょっとおもしろいものを、手に入れ売れましたので教えます。
それは、”ソニーファミリークラブ”というクラシックCDボックスについてきた”棚”だけです。昔、約100枚単位のCDアルバムと一緒に、収納ボックスをつけて売ることが流行りました。
棚のみでも、軽くてしっかりしている作りと、ちょっとしたおしゃれ家具としてまだまだ現役で機能します。また、アルバムCDも同じレーベルや音楽家ですべて集めると、なにか起きるかもしれません。ある意味あなたのこだわりの力を試されている世界です。
まとめ
自分も映画音楽の”ジョン・ウィリアムズ”と仲が良いというのが、意外でした。自分とは遠い世界かと思っていたので少し嬉しいです。当社では、クラシックアルバムCDのまとめ売りも出張買取の対象です。気軽にお申し付けください。