50周年を超えても今が旬!新日本プロレスの魅力と、それにまつわるお宝について

川崎市宮前区で、不用品買取や大人の断捨離を支援する”ものと人生の水先案内人アニー堂”です。田園都市線梶が谷駅から、鷺沼駅行バスで10分、東横線武蔵小杉駅から野川台公園行バスで20分上野川のバス停付近で、個人の古物商として活動しています。

あのアントニオ猪木が作り上げ、日本のプロレス界を創り上げた新日本プロレス。今日もどこかで、熱く楽しいプロレスを展開しています。今回は、この新日本プロレスの歴史とその魅力、そしてお宝についてまとめてみました。

新日本プロレスとは

この団体は、1972年にあのアントニオ猪木が創設した日本のプロレス団体です。初期の特徴して、モハメド・アリやウィリー・ウィリアムスなど当時の格闘技の第一人者と、異種格闘技戦と呼ばれる試合で一気に人気を獲得しました。80年代に入ると、長州力などいまでもお茶の間を賑やかしている選手が続々加入し、熱い戦いを繰り広げています。90年代は、蝶野正洋、武藤敬司そして橋本真也の闘魂三銃士と呼ばれる三選手を中心に、日本マット界のキングとして君臨していました。

しかし、2000のPRIDEやK-1による格闘技ブームで、一度は暗黒期と呼ばれる時代が長く続きましたが、中邑真輔や棚橋弘至そして、スイーツレスラー、真壁刀義など旧来の精神論を取っ払った選手たちが活躍を始め、現在日本でも一番人気のある団体として、老若男女問わず大人気なプロレス団体となりました。

新日本プロレスの魅力

その魅力は、かつては猪木による異種格闘技戦で、数多くの格闘家と戦いそのギクシャクした独特な緊張感あふれる試合を展開していました。また彼を慕って数多くの国内外の優れた選手が、このリングに上がりました。

かつては、200キロ近い相手の技をきっちり受け切る伝統的なスタイルが主軸でした。しかし、2000年代になると、100キロ前後の選手たちが、リング狭しと駆け回り、90キロ以下のジュニア・ヘビー級と呼ばれる、軽量の選手たちが得意としている飛び技を連発する、ど派手なスタイルに変わりました。

ちなみに、棚橋弘至など2000年代にデビューした選手がベテランになり、それ以降デビューした若い選手たちが、激しい戦いを続けていて、今でも目が離せません。

新日本プロレスのお宝

いつものように、ヤフオク直近180日の落札相場を調べてみました。

シンプルに、”新日本プロレス”で検索しました。

取引数は、7,282件、平均 3,361円、最高 200,000円でした。最高落札された品物は、50年以上前に大活躍した日本のプロレスラーのサインです。アントニオ猪木 ジャイアント馬場 大木金太郎 吉村道明という当時を知る人にとっては、信仰の対象とも言える逸品です。

まとめ

私は、闘魂三銃士からプロレスを見ていました。途中で、テレビ放映が続々撤退して少し足は遠のきました。しかし、You Tubeで今の選手達の面白さにちょっと気が付き、土曜深夜たまに見ています。

今後も、日本人はもちろん世界の人に愛される団体であることは間違いないと思いますので、ずっと活躍してほしいです。

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