追悼アントニオ猪木の足跡と、お宝物について

川崎市宮前区で、不用品買取や大人の断捨離を支援するアニー堂です。田園都市線梶が谷駅から、鷺沼駅行バスで10分、東横線武蔵小杉駅から野川台公園行バスで20分上野川のバス停付近で、個人の古物商として活動しています。

昨日、日本ひいては世界で名を轟かせたプロレス界の巨星”アントニオ猪木”が79歳でこの世を去りました。本日は、彼の偉大な足跡と、数多く存在するグッズ達の今の価値を見てゆきたいと思います。

アントニオ猪木とは

猪木といえば、あの力道山からブラジルで見出され、1960年にプロレスラーとしてデビューしました。他の追随を許さない厳しく激しいファイトスタイルと、高いスター性、引退後も衰えない独特なマイクパフォーマンスなどで、たちまち日本のファンの心をつかみました。全盛期には、異種格闘技戦というプロレスのリングにプロの格闘家などを上げて試合をする、今の総合格闘技の原盤とも言えるスタイルで70年代から黄金期を築き上げました。

特に、当時ヘビー級最強と言われたモハメド・アリをリングに上げた1976年6月20日に行われた、”猪木VSアリ”は世紀の一戦として現代でも語り継がれています。

画像は、力道山氏の彫像で申し訳ありません、、、

アントニオ猪木グッズの価値

彼はあらゆるところで逸話を残していて、それにまつわるお宝も数多く残されています。私も過去倍賞美津子との結婚式で引き出物として配られたモルフォ蝶の豪華な壁飾りを取り扱いしました。

本日から180日のヤフオクの落札相場を調べてみました。

過去180日で、2,600件取引され、平均額は4327円、その最高額は170000円とまだご存命であった時期が長いとは言え、かなりの高値をつけています。ちなみにライバルだったジャイアント馬場さんについても調べましたが、813件そして平均額は平均 3856円で最高額は170000円と奇しくも同じでした。

調べてみたところ、双方最高額で取引されたのは、”ジャイアント馬場さん”と”アントニオ猪木”が過去結成していた、”奇跡のBI砲”のポスターで、二人が仲良く写っているのはなんだか感慨深いです。

まとめ

ちなみに、私は、橋本、武藤そして蝶野が活躍していた、新日本プロレスの闘魂三銃士時代から付かず離れずの距離でプロレス観戦していました。

その先輩である猪木さんの逸話は、よく耳にしていたので、とても悲しいですがしっかり弔いたいと思います。

今後も、先に逝ったジャイアント馬場と仲良くあの世で、”BI砲”を再結成すると思います。グッズも燃える闘志とともに、その価値を永遠に高めると思います。

当社では、そんなアントニオ猪木やジャイアント馬場など名プロレスラーのアイテムを大切に買い取りや委託販売させていただきます。

出張費無料で、大切に取り扱わせていただきます。